アルコール依存症の夫を持つ妻の物語

アルコール依存症の夫を持つアラフィフ妻です。体験談を通じて心境の変化をブログで語っていこうと思います。

家を出る

家に帰るのが苦痛になってきた私はなるべく帰宅時間を遅らせたり、休日は外に出るということをしていった。

ある日、帰宅したら再飲酒し泥酔状態でひっくり返っていた。

料理酒を飲んで空っぽになったパックが台所に転がっていた。

私の行動がそうさせたということだ。

うん、そうかもしれないね。

いつもなら私が悪いんだと罪悪感を抱くのだが、なかった。

もう、こんな生活をやめると心に決めていたからだ。

泥酔しているうちに荷物を車に押し込んで出よう。

前回にも家を出た時に持ち出した荷物は最低限必要なものを持ち出したけど

今回は荷物の内容が本気だ。

購入したばかりのベッドマット、こちらも購入したばかりのオーブンレンジ。

どちらも重たい。

こんな時、火事場のバカ力が発揮した。

自分でも驚いた。

普段ならこんなに力もない。

本気だ。

私は本気で決断したのだ。

やめるとね。

 

つづく。。。

 

 

決断のきっかけ

私の心が揺らいでいる時。施設にいる義理母が帰りたいという意向を示していると夫が言い出した。

呼び戻そうと思っている。。。とのこと

えっ⁉言葉がでない。

断酒して間もない上に仕事も復帰していない状況で介護がのしかかってくるとどうなるのよ。

私のことは二の次なんだと思った。

その日から家に帰るのが本当に嫌になった。

仕事が休みの日は、なるべく用事を作って家に帰らなかった。

夫の顔を見るのも嫌だった。

そんな日を重ねていくうちに家を出たいという気持ちが色濃くなっていった。

占い師に相談

夫が退院後、日中働かず家にずっといることが私の心の負担になってきた。

コロナ禍で商売も厳しい状況であり、復帰したところで思うような収入に繋がるかといえばそうでない。

しかし、今の商売を辞めて外で働くといっても年齢も年齢でせいぜいアルバイトかなと。

アルバイトでも良いから働いてほしい。

いや、どんな仕事でも良いから働いてほしい。

本人は医者にストレスがかかることは危険だと言われているとのこと。

出口の見えないトンネルの中にいるみたい。

考えても考えても答えが出ない。

友人から以前、とてもよく当たるスピリチュアルな占い師(霊視ができる)の話が頭に浮かんだ。

そうだ、相談に行こうと。

ドキドキしながらセッションを受けた。

今後、夫の商売は大丈夫なのか。

そして、私は今の仕事のままで良いのか。

そしたら、いきなり衝撃なことを言われた。

占い師『来年の夏以降に縁が切れる。』

占い師『夫の商売はもうだめだ』と。(やっぱりか)

占い師『両親と上手くいってますか?』と質問していないことを聞かれた。

私『いいえ。。。』

占い師『あなたが自立したら本当の幸せになる』

自立したら本当の幸せ?

自立の反対は依存。

依存しているから幸せになれないんだと悟った。

その日から本当の幸せについて必死に考えた。

夫と一緒にいることは依存なんだということも。

こんなに酷い扱いを受けても一緒にいようとしているのは依存だ。

 

別れが頭にちらついた。

しかし、勇気がいることだ。

どうしよう。どうしよう。

自分の幸せについて真剣に考えてみるべきだ。

 

つづく。。。

 

 

 

 

不信感

心療内科を受診し、処方された睡眠導入剤で不眠が和らげた。

心療内科の先生が断酒会に参加しないと、という言葉が頭によぎり、それとなく行くように促した。

しかし、行きたくないと頑なだ。

私も家族会に行くからと伝えたら『あんただけが行けばよい』と。

はぁ??カチンときた。

心の中で『お前のせいでどれだけ苦しんでいるのかわかっているのか』とね。

言いたいけどグッと我慢。

再飲酒されるから我慢。

我慢?

なぜ私だけ?

なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

この時から離婚が頭によぎるようになった。

一人で生活することの覚悟を決めていかなければと。

不安だけど、このままも不安。

どっちの不安を取ろうか。

そりゃ一人での不安のほうが何とかなるよね。

自分次第で。

うん、積極的に考えよっと。

 

つづく。。

心療内科受診

不眠症になって心療内科を予約し、先生に眠れない経緯を説明した。

そして私の不安を打ち明けた。

何が不安というと断酒会に参加しようとしないこと。

私から断酒会に行くことを促してはならない、あくまでも本人の意思。

もちろん、わかっている。

全ては本人の意思だとね。

先生は断酒会にいかないといけないと言ってた。

私もそう感じていたから再飲酒が始まるかもと不安になり不眠症になった。

 

入院に繋がり退院後にお酒を止めているにも関わらずスッキリしない。

 

つづく。。。

 

アルコール病棟から退院後の生活

複雑な思いを抱えながら夫が退院し、再び一緒に生活することが始まった。

退院してすぐに仕事は無理ということで日々の日課にウォーキングを取り入れた。

最初は距離を歩けなかったが、徐々に距離を伸ばしていった。

そして、毎日ウォーキングを重ね一日1万歩を目標になっていきました。

午後からは自由時間。

一方、私は仕事をこなす日々。

帰宅したら夫がいる、急いで夕飯の支度をする。

そういう生活が続いた。

私は、またいつ再飲酒が始まるのかと怯えながら過ごしているうちに不眠症になってしまった。

寝る時間が近づいてきたら目がぱっちり。

寝るための夜の過ごし方を努力したけど寝る時間が近づいてきたら目がぱっちり。

全く眠たくない、というより寝たくない。

不眠症だ。

心療内科に相談するために予約をいれた。

 

つづく。。。

 

 

複雑な思い

やっと入院まで繋がったのに、何故か私の思いは複雑。

その複雑な思いは何故なのかは、わからない。

でも、せっかく入院までして本人に自覚が芽生えたんだから支えなければ。

支えなければならないという呪縛に心が苦しいのかもしれない。

退院後の生活を想像したら悪いイメージしか浮かばない。

退院しても仕事をすぐに始めないだろうし、また私が頑張らないといけないのかと思うとしんどい。

依存症の治療といっても本人にプレッシャーをかけてはいけないというご法度がある。

その分、私にプレッシャーがかかる。

 

退院後に一緒に暮らすということは夫がスリップしないように心掛けないといけないという私へのプレッシャーだ。

 

自分の気持ちがわからなくなってきた。

この頃から私は、自分自身へ疑問を持ち始めた。

もしかして、私自身の問題が絡まっているのではないかと。

夫のアルコールの問題を介して自分自身の問題に気づくために現実が起こっているのではないかと。

そう気付き始めながら、夫を絶対に立ち直らせてみせると思考が働く。

心と頭が交錯してる。

 

つづく。

 

 

アルコールに溺れてしまう

入院してからは、退屈なせいか一日に一回は必ず電話がありました。

同じように入院している人のことが気になるようで、その様子を私に説明してきました。

夫が悟ったことは、社会で凄い経歴を持っている人も入院しているということ。

だから、誰でもアルコール依存症になる可能性を秘めているんだと。

 

私は、夫がアルコールに溺れている姿を横で見ていて感じたことは、ストレス耐性にかなり弱いと思いました。

生きていたら嫌なことや辛いことなどは誰にでも起こりうることだと思います。

一つ一つ乗り越えて人は前に進んでいるのですが、夫の場合は立ち向かわない、その前に酒へ逃げてしまいます。

問題から目をそらし回避してしまいます。

いわゆる現実逃避というやつです。

これじゃ、いつまでたっても人生辛いよねと思っていました。

困難をいくつか乗り越えた人は、そう簡単に落ちないだろう。

よくアルコール依存症は誰にでもなりうる病気だと目にしますが、私が個人的に思うに大きく分けると弱い人。

弱さは人間誰しも持っていますが、夫は弱すぎる。

だからといって、私が支えるのは夫のためではありません。

本人が自分自身を成長させようという自覚を持たねば救うことができません。

支えてくれる私がいたら、本人は目覚めないでしょう。

可哀そうに、目の前のことしか視えていないだろう。

今、支えてくれていることは永遠に続くはず。

だから、飲んでも大丈夫。

でも、酒をやめなきゃと思っている。

 

諸行無常

この世のすべての物は変わりゆくものである。

 

永遠に優しくなんかおれない。

だって私にも人生があるし、幸せになる権利があるはずだ。

私の心も常に変化していく。

 

そこに気付いてない。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

アルコール病棟入院

夫が入院直後に義母は施設へ、私は実家から3か月ぶりに家に戻りました。

コロナ禍ということで、私は実家の母と暮らし感染させてはいけないということと仕事の都合、あとは世間体という理由で誰もいない家に戻りました。

 

入院生活が暇である夫から毎日電話がありました。

そして、入院している周囲の人達の様子を話してました。

色々な人がいる、おかしくなりそうだと。

いやいや、あなたも同じだよと思ってました。

 

入院したものの退院後ってどうなるんだろうって疑問に思ってきました。

ある施設に相談の電話をしました。

『入院して帰ってきたら、仕事は普通に出来るのですか?』と尋ねたら、衝撃な答えが返ってきました。

『無理です』

一瞬、頭が真っ白。

『無理ってどのくらいの期間ですか』と尋ねると『2年は無理』。

えっ。

甘く考えていた。

入院したら、まともに働いて真人間になってくれるという期待。

無理をさせるとスリップしてしまうのね。

『奧さん、別れてもいいのですよ。』と言われました。

そうなんだ、この先一緒にいるということは、ずーっと続くんだ。

無理かも。

次は夫の入院先のケースワーカーさんに電話して聞いてみた。

コロナ禍で病院食だけでは物足りず、差し入れを持って行っている話なども入れながら退院後ってどうなるんだろうと。

すると、『家族はせっせと差し入れを持ってくるんだよね。だから本人は止めれないだよね』『私なら別れる、相思相愛がないのよね』と。

どういう意味かしら。

本当の愛ではないということなのかしら。

確かに愛があるとこんな目には合わせないわ。

 

戻ってきたことを少し後悔しました。

私ってどうしたいんだろう。

 

つづく。

 

 

底付き体験から入院に繋がる

底付き体験を経て、アルコール依存症であることを認め、入院を決意しました。

この時、私は大変うれしく思い、治療する夫の力になりたいとまで思いました。

 

しかし、入院中に義母を誰が面倒みるのかが問題でした。

また、ケアマネジャーさん、保健所のケースワーカーの方、地域包括支援センターの職員が集まり、義母について今後どうするのか話合いをしました。

 

退院後も義母の介護より依存症を回復させることを優先的に行わないといけない状況であることを義母に説明し施設に入所してもらうことを説得しましたが、自分の家に帰りたいと受け入れません。

義母の家は、階段が急で一人暮らしは無理だと説得しました。

 

もちろん、私もアルコール依存症の夫を抱えて介護することは、もうこれ以上のことを抱えるのは無理でした。

私は、義母がとどまるのであれば精神的に限界がきているので、このまま別れたいと訴えました。

すると義母は『別れろ』と夫に促しました。

それを聞いた地域包括支援センターの方が『それは、息子さんが決める事!』と義母に一喝入れました。

私もその言葉に唖然としました。

夫が泥酔した時には、一緒に住むのは無理だとケアマネジャーさんに訴えていたのに、もう忘れてこんなことを言っている。

しかも、息子がこのままだと死ぬかもしれないという時に、自分の事を優先する親がいるのか。。。

許せない気持ちでした。

その時、夫が口を開き『申し訳ないけど、おふくろ施設に行ってもらえないか、俺はこのままではだめになってしまう』と言いました。

義母は言葉を失い、仕方なく施設に行くことを受け入れました。

 

本当にアルコール依存症って、みんなを不幸にする病気だなと実感しました。

いや、不幸とういう言葉ではすまない。

底付き体験して入院に繋がったのですが、こんなに苦しい道のりを辿らなければ治療に繋がらないのか。

この地獄の底付きというのは文字で伝えることが大変難しいのですが、操縦している飛行機を故意に墜落させるイメージです。

墜落すると全てが破壊されることは想定できます。

しかし、破壊してしまわないと永遠に続くのです。

地獄が繰り返し、繰り返しと。

何処かで破壊せねばならないのです。

アルコール依存症の本当の苦しみは、本人がとことん落ちた時なんです。

本人も苦しいかもしれませんが、酒を一滴も入れずに逃げ場もなく、目の当たりにする家族の心は破滅してしまいます。

人生を奪われてしまいます。

 

どうか、この世からアルコール依存症が無くなりますように。

 

つづく。

 

振り回される③

保健所の方の話によると夫が酔っぱらい玄関でふらついて下駄箱ごと倒れ下敷きになり、義母がケアマネジャーさんに助けを求め連絡したようです。

 

ケアマネジャーさんが駆け付けたものの玄関を開ける鍵がないのでドアが開かない。

警察を呼んだみたいです。

警察も駆けつけて鍵屋さんに頼んで合鍵を作製し、ようやく玄関が開いて下駄箱を男3人がかりで持ち上げたようです。

 

凄い迷惑をかけているのに後日、家の前で倒れてるのを近所の人が見つけて救急車を呼んでくれて運ばれる始末。

救急隊員から電話があった後、悩んだあげく私は行かないと決めました。

しかし、心の中で自殺でもしたらどうしようと葛藤してました。

 

結果、行かないと決めたことが入院に繋がるとは夢にも思わず。

 

夫は酔いが醒め、一人で病院から家に帰ったそうです。

 

保健所の方が言っていたのですが『ここまでなるのは初めてだ』と。

この時が夫にとって本当の底付きだったようです。

 

ついに入院することを本人の意思で決意しました。

 

つづく。

振り回される②

実家に戻った私は、退院したばかりの義母の状況が気になり、担当のケアマネジャーさんと夫のアルコール問題でお世話になっている保健所のソーシャルワーカーさん両方に連絡を取り、一度みんなで今後の事を話し合いたいと伝え、日程を設定しました。

 

そして、集まって話し合いが始まりました。

保健所のソーシャルワーカーさんに相談していたのは、私だけで夫は初対面でした。

アルコールの飲み方について、質問をいくつかされました。

まず、飲む量について聞かれ、答えた量と実際に飲んでる量が異なってました。

少なく見積もってます。

そして、病院に入院することを勧められましたが、入院は嫌だと拒否。

義母も息子に同意。

 

ケアマネジャーさんは、家で介護できるように介護ベッドや手すりなどを手配いただきました。

 

その日は、話し合いが平行線でした。

外へ出た時にソーシャルワーカーさんにアルコールの量について偽っていることを伝えたら、ほとんどの方は正直に答えないということをおっしゃってました。

そして、お義母さんがいる限りアルコールの問題を解決することは困難だと言われました。

私は、二人を残して実家へ戻りました。

 

数日後のことでした、仕事中に救急隊員から携帯に電話が入りました。

夫が玄関前で倒れているところを近所の方が119番したようです。

救急隊員の方が『アルコール依存症でね~病院には連れていきますが、迎えにきてくれますか?』と聞かれたので『私は、もう家を出てますので関係ありません』と伝えました。

『わかりました』

そのあと仕事どころではありませんでした。

迎えにいこうか悩みましたが、行かないと決めました。

もう、気が狂いそう。

いい加減にしてほしい。

 

保健所の方に連絡を入れて、どうしようと相談しました。

『実は、昨日も大変だったのです』と。

え~まだ何かあるの⁉

もう聞くのが怖い。

 

つづく

 

振り回される①

荷物をまとめ家を出て実家に帰った私は、翌日も仕事だったので疲れてすぐに床につきました。

翌日の朝、仕事に行く途中に携帯が鳴り、見たら夫からだった。

酔っぱらいながら『今日はお袋が退院だから車を今すぐに返して』ということだったが、引き返せないのでタクシーで迎えにいくように促した、しかも飲酒運転になってしまうことも伝えましたが、そのまま返事もせずに一方的に切られました。

 

その日の仕事を終えて帰宅したら携帯が鳴り、出たら義理母の入院先の病院だった。

『今日、退院の日なのですが、息子さんが迎えにきません』とのこと。

看護師さんに夫のアルコールの問題を伝え、私は家を出ており関係ないと伝えました。

 

翌々日は、院長直々に電話があり、迎えにこないと連絡がありました。

院長『アルコール依存症は治療しないと治らないし最終的にお金もなくなる、お義母さんは施設に預けることを考えたほうがよい』とアドバイスをいただき、私は病院でお世話になったケアマネジャーの連絡先を教えてもらった。

ケアマネジャーに連絡するとすぐに施設は見つからないので時間が必要とのこと。

困ったなぁ~私はすでに家を出ているし、夫は泥酔状態、誰が面倒みるんだと嘆きました、頭がもう真っ白です。

 

仕方がないので病院に行き、義理母を迎えにいきました。

事情を説明して夫がいる家まで連れていき、家に入ったら泥酔してました。

夫は悪びれるわけでもなく、ベッドに行きました。

本当に情けない。

そして、二人を残して私は実家に戻りました。

 

底付き体験

アルコール依存症について勉強していると『底付き』という言葉が出てくる。

回復過程のグラフで底付き体験してから線が上昇していくのを目にしたことがありました。

底付きってなんだろう?

なんとなく理解しているようで漠然とした感覚でした。

 

ある日、仕事から帰宅したときにリビングで夫がうめき声を上げて泥酔している姿は、廃人でした。

それは、まるで地獄の中にいるよう。

『私がいるのは地獄だ、地獄はこの世にあるんだ』

ここにはいられない、気が狂いそうだ。

思考は停止してましたが、明日も仕事だから必要最小限の荷物を持ってここを出よう。

いや、すべての荷物を持って出ようと決めました。

車に荷物を詰め込んで無我夢中で車を実家の方向へ走らせました。

途中で携帯がないのに気づいて車を止め、会社の電話から自分の携帯に掛けました。

鳴りません、家に忘れた。

引き返そうとエンジンをかけたら、かかりません。

もう、どうしよう。。。泣き叫びました。

 

家から歩いていける距離だったので家に戻り、とりあえず携帯を見つけ出して再び家を出ました。

車が動かないことを思い出し、パニック状態だったので近くの交番に駆け込み、相談しました。

おまわりさんに車の状況を見てほしいとお願いして来てもらいました。

恐らく、エンストしているからJAFを呼んだらと言われました。

車には沢山の荷物を積んでいたのでおかしいと思ったのではということと、聞いてほしいという衝動で『夫がアルコール依存症で家出するところです』と言ってしまいました。

おもわりさんは、『アルコール依存症は専門医で診てもらわないと自力では治らない』と、私は『そうですよね』と返した。

加入している自動車保険会社に電話して『30分後くらいに伺います』ということで、おまわりさんにはお礼を言って帰ってもらいました。

待っている間、心が落ち着かず誰かに聞いてもらいたいと居ても立っても居られず、いのちの電話相談に電話してました。

夜の11時過ぎだったので電話が殺到している時間帯なのか繋がりませんでした。

何度も何度もかけましたが、繋がりませんでした。

心が疲弊してました。

 

保険屋さんが到着し車の状態を見てもらった結果、バッテリーが上がっていたそうです。

とりあえず、車のエンジンがかかり、動いたので実家に向かいました。

 

つづく

家族ミーティング

家族ミーティングという場で当事者家族が、それぞれの経験を語るという場に参加しました。

言いっぱなし、聞きっぱなしという状況。

家族の立場はバラバラでお子さんが依存者の場合は、健康面を大変心配されている様子が伺えました。

場の雰囲気は、どんより暗いです。

皆さん共通していることは、出口の見えないトンネルの中でもがいている。

明るい兆しが見えたと思ったら、ドン底にまた突き落とされる。

突き放そうと思っても、それ以上の大波に襲われる。

自分のことなら解決できるのに本人の意思に任せるしかない。

本人の意思が、なかなか進まない。

家族は一日も早くこんな状況から脱出したいと願ってます。

 

家族会で悩みを吐き出すことで救われるとか、安心感が得れるといわれてますが、私は吐き出しても心が救われなかった。

戦う気力が、なくなってきたんだと感じました。

でも、離婚して一人で生きていく自信がない。

 

そう、この一人で生きていく自信がないという思い込みに苦しんでいるんだと感じました。

この時点で気付いただけで、どのようにして振舞えば良いのかがわかりませんでした。

 

そして、状況が動きだします。

 

つづく

 

 

 

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