真っ暗なトンネルの中で起きる出来事
夫は、とうとう仕事までしなくなった、とういうより仕事よりお酒優先だったもんね。
看病で一日を過ごすんだ。
納得いかない。
私が、仕事を終え帰宅すると泥酔状態で寝ている。
もう、耐えれない。
私は、仕事帰り義母の入院先に出向き、仕事をするように説得してほしいとお願いしました。
しかし、返ってきた返事は『あの子は一人では出来ない』とのこと。
二日後に手術を控えているのに何を言いに来たのという態度でした。
そして、明日は手術の説明を夫が受けにくるというのです。
泥酔していることを伝え、この先問題が起きることを想定し病院のほうへアルコール依存症だと伝えていたほうが良いのでは、と義母に提案しましたが、それだけは恥ずかしいからやめてほしいと懇願されました。
しかし、手術の説明には来なかったというより、泥酔して行けなかった。
仕事をせずに看病すると言ったので任せきりにしてました。
手術の日は立ち合い人がいないと手術できないはず。
当日の朝、二日酔いで起きれずにいたので、私は仕事の時間をずらして無理やり病院まで連れていき、何とか手術に間に合いました。
後始末をしてはいけない、本人に問題を返すと頭を何度も過りましたが、病院に多大なる迷惑をかけてしまうことを考えるとやってしまいました。
やっぱり問題を放置することが出来ない状況があり、マニュアルのようにはいかない。
こんなに奮闘して振り回されているのに本人は覚えてないし反省もない。
後日、義母に訴えたことを手術前なのに余計な心配をかけるなと怒られました。
その時は、反省しましたが、その後飛んでもない方向にいきました。
私のストレスはマックスでした。
しかし、何故に私はこんな状況下で頑張っているのだろう?
何故にこんな耐えなければならないのだろう?
自分に対しての疑問が頭をよぎりました。
冷静になって考えろ、私。
つづく
地獄の方向へ動き出す
私が、仕事から帰宅すると夫から着信がありました。
義母が転倒して動けないから、すぐに来てくれという電話でした。
到着すると義母は、座ったままで立てずにいたので、私は救急車を呼びました。
救急隊員の方が到着して救急車へ運ばれ車内で病院先を探している間に夫は準備するので待ってくれということでした。
そして、病院が決まり、救急車に乗り込んできた夫はお酒を飲んでました。
私が飲んでいるのかを問い詰めると、飲んでいないと返答。
『ありえない...こんな時に』
しかし、夫は救急車で付き添うので、私は後から車で迎えにきてほしいと言われ病院に向かいました。
病院に到着して夫の顔を見るとやっぱり飲んでいる顔でした。
その夜は、そのまま家に帰りました。
翌朝、病院に2人で向かい、お医者さんの説明を受けました。
レントゲンの結果、骨折した箇所が複雑な場所なので、この病院では手術ができないと言われ、大きな病院で手術を受けることになりました。
高齢の義母は、当面仕事ができなくなり、リハビリも含め回復する時期が見通せません。
私は義母が仕事に復帰するまで何とか一人で頑張ってくれるだろうと当然のように思っていました。
しかし、夫から驚きの言葉が飛び出しました。
なんと、看病するから当面仕事が出来ないとのこと。
『義母もそうしてくれるか?』と息子に言っている。
私の頭の中が、一瞬パニックになりました。
『えっ、看病って病院は完全看護なのに何をもっての看病?この親子は何を考えているのだろう』
『アル中のうえに無職⁉』
Wの悲劇?
冗談でしょ。
つづく
自己憐憫
アルコール依存症の勉強会に参加して知れば知るほど落ち込みました。
苦しめられている自分が、責められているようでした。
まずは、『こんなに苦しめられている自分は可哀そう』
これは、自己憐憫という負の感情。
これぐらい思ってもいいくらいの事をされているではないのでしょうか?
飲酒で起こした問題の後始末。
アルコールの問題は本人に返す。
色んなパターンがあるかと思いますが、私の場合は、夫が家で一人で飲みトイレに立ち上がる度にひっくり返り部屋の中を汚して後始末をしてしまうこと。
こんな汚れた部屋で暮らすのは、不快だから片付けてしまう。
こんなに泥酔しているのに後始末なんかできるのか?という思いでしていたので自分の行動に疑問がありませんでした。
夫の行動を監視してお酒を隠してしまうこと。
家族は何とか良い方向へと願いながらしてしまう行動では?
飲酒を責めるのもタブー。
黙って見てろというの?
脅しもタブー。
私の場合は『もう離婚する』この言葉は数えきれないほど言いました。
しかし、夫も慣れてきて、またかという感じ。
私は他に言葉がみつからず言ってました。
きっと家族の方たちは、じゃあどうすればいいの?という気持ちで一杯です。
みんな自己憐憫に陥るのは当然だと思う。
私は、マニュアルに記載されている家族の対応をしてました。
私がアルコール依存症を助長させていたのだ。
だって色んな方法でやめさせようと努力したのに改善されない。
全力で頑張ったのに無力だ。
このように出口のないトンネルに迷い込んでしまっている状態が依存症の家族。
このような日常を過ごしているけど誰にもわかってもらえないし言えない。
だから『地獄をみたければアルコール依存症の家族を見ろ』という言葉が存在するのですね。
つづく。
勉強会で学んだことを実践
私はクリニックで学んだことを夫に伝えると『ふーん』と他人事。
まだ否認中。
いやいや、あなたは立派なアルコール依存症ですから・・・と心の声が叫んでる。
そして、本人の責任は本人に返す。
う~ん、頭では理解しているつもりですが、どうやって本人に返すの?と疑問でした。
いつものようにグデングデンになり、部屋が乱れた様子を私は片付けたい衝動をぐっと我慢しそのままにした。
夫は一応、適当な形で片付けるが汚いまま。
はあ~やっぱり最後までキレイに片付けてしまう。
ダメだダメだと思いつつ片付けてしまう。
本人に返しても回復は、出来ないのではないかと心のどこかで思っていたかもしれません。
その時はキチンと理解していなかったのです。
勉強会で先生に、習ったことを実践したけどダメでした~と報告しました。
頂いた資料の中で、アルコール依存症の回復までの一連の流れで『底つき』という言葉を目にしました。
底付きから回復するよう波線が上がっていくのです。
この底付きってどんな状況なのか知る由もありませんでした。
しかし、この底付きというのは想像を絶するような事だと後から体験することになるのです。
もう十分に地獄を体験してきたと思っていたのですが、本当の地獄はこの先に待ち受けていました。
つづく。
アルコール依存症勉強会に参加
私はアルコール依存症家族の勉強会に参加しました。
飲酒をコントロールできない、アルコール依存症を否認する、隠れて飲むなどなど夫の飲酒の行動はマニュアル通りではありませんか。
そして、何よりも驚いたのが、私がしていた行動がアルコール依存症を助長させていたなんて夢にも思っていませんでした。
本人の飲酒問題は、本人に返すということです。
頭では理解できても、本当の意味を心で捉えて行動に移すことができたのは、かなりの時間が経過してからでした。
知れば知るほど恐ろし病気であるし、目の前が真っ暗になりました。
なぜなら、回復するには断酒しかないということです。
夫の飲酒を見ていると断酒なんてありえないと思ってしまいました。
そして何よりも認めていないという現状。
断酒の成功率の低さにも愕然としました。
とりあえず、嘆いても前に進まないので家族の対応のやり方を試していこうと思いました。
マニュアルに沿って行動すれば回復すると少し希望を持ちました。
しかし、そう甘くありませんでした。
つづく。
外部と繋がる
夫は仕事中にも飲酒をするようになりました。
帰宅したときに顔を見たら、いつもと目が違うので飲んでいるなと感じました。
お酒を隠し持っているのではないかと思い探したら飲みかけの缶チューハイを見つけ出しました。
どうしたら、この状況を変えれるのだろうかと悩みパソコンで検索しました。
そしたら、保健所がアルコールの問題についての相談先になっていたので早速、電話して面会の日程を決めました。
状況を説明するとアルコール依存症の可能性は高いと言われました。
本人は病院に繋がる気が全くありません。
それどころか、アルコール依存症であることを否認します。
すると、アルコール専門のクリニックで家族会があると教えていただき予約を取って訪ねました。
クリニックのソーシャルワーカーの方に今までの経緯を説明するとアルコール依存症の可能性が高いとのことでした。
夫の場合は、山型飲酒だそうです。
私はやっぱりそうだったのかと改めて思いました。
その時の感情は、極めて冷静で糸口が見つかり、何とか回復するのではないかと期待してました。
そしてクリニックでアルコール依存についての勉強会が月に2回あったので通いました。
つづく。
仕事より飲酒
いつしか生活のリズムの境界線が無くなりだしました。
営むお店に突然、同級生が現れ平日の夜、飲み会に誘われました。
明らかに1分1秒でも早く飲み会に参加したいがために仕事を早く終わらせ飲み会場所に飛んでいきました。
私は、今後の飲酒が悪化しないか心配でした。
明日は、仕事だというのに日付が変わっても帰宅しません。
私も翌日は仕事があるにもかかわらず、帰宅するまで寝れず。
帰宅は深夜2時くらいでした。
翌朝、二日酔いと寝不足で起こしても起きません。
私は、起きない夫を放って仕事に出発しました。
夫は大遅刻したそうです。
次回の飲み会は、生活リズムのコントロールができるだろうと思いました。
飲み会の頻度も増えてコントロールどころか益々おかしくなっていきました。
私は夫の友人を恨みました。
仕事に影響するので誘わないでほしいと直に言いたい気持ちでいっぱいでした。
干渉してはいけない、そこまで口を出してはいけない、感情を抑えないとという気持ちになり、私のストレスはマックスでした。
そして、何よりも嫌な予感が走ります。
嫌な予感が的中するのです。
これから地獄の釜の蓋が開きます。
つづく。
あの手この手と試してみたが
夫の飲酒は、相変わらず酷い。
『次に酷い飲み方をしたら別れる』と脅しましたが、全く状況は変わりませんでした。
ある年のお正月の出来事、
我が家のルールで喫煙は外でという決まり事があり、深夜、缶ビール片手に喫煙していたのですが、私の怒りが最高潮に達し、玄関ドアを施錠し締め出しました。
すると、ドアをガチャガチャとした挙句、玄関付近に置いていたブロックでガラスを割って鍵をあけ入ってきて何食わぬ顔でベッドに入り就寝しました。
玄関はガラスの破片だらけ。
また、これを片付けなければならないのかと思うと愕然としました。
この時は、もうこれ以上の事を考える力はありませんでした。
朝に考えようと思い疲れ果てて眠りにつきました。
朝を迎えるとガラスの破片がきれいに光ってました。
片付けるしかありませんでした。
お酒を隠したり、離婚すると脅したりとあの手この手と施しましたが、改善の方向に向かいません。
私自身に返ってきます。
私の力では限界です。
何か改善策はないのかと考えましたが、思いつきませんでした。
神様に祈りました。
”どうか平穏に暮らしたい。
最低限の人間の尊厳が欲しい,,
ただ、それだけなのに叶わない(泣)
つづく
生活費を減らされる
2008年に起きたリーマンショックの時、夫が営む飲食店が大きな転機を迎えました。
それまでは、そこそこ順調であったのですが、今までのようにお客さんが来なくなりました。
『時代に合わせてやり方を変えてみるのはどう?』とアドバイスしましたが、聞く耳を持とうとしませんでした。
そして、お酒を飲む頻度が増え追い詰められていたような様子で心配しました。
夫は凄く逆境に弱いというより弱すぎるのです。
『今まで通りの生活費を渡せない』と言われました。
提示してきた金額では生活ができないので、私はキャリアアップして現在のパートから契約社員へと転職しました。
その時は、一時的に対処してほしいということだと受け止めていました。
夫も商売がダメになったら今後、仕事を変えてくれるだろうと信じてました。
しかし、飛んでもない方向へと向かってました。
アルコールの問題、夫の仕事、私が更なる苦労をしなくてはならないターニングポイントでした。
つづく。
わかってもらえない苦しみ
お正月の期間だけだった連続飲酒は、やがてゴールデンウイーク、お盆休みまでするようになりました。
酔いが回ると足がふら付き転倒し物が壊れたり、コップがひっくり返ってこぼしたり、失禁して床を汚したりと大変でした。
その度に後片付けをしなければなりません。
’’後片付け,, と文字にすると簡単ですが、肉体も精神も極限まで疲れ果てます。
転倒したことによって顔にあざができているのに、本人は何も覚えていません。
『痛くないのかな?本当に幸せだな』と思いました。
怒りと情けない感情が湧き出てきますが、否認と記憶がないということで私の一人相撲になってしまうのです。
なんとも言えない気持ちになります。
私の感情が表に出せず、私の中で押し込まれ溜まっていくのです。
本人はストレス発散だし大したことないと言うのですが、私はとてつもなく苦しいのです。
『何故、私だけがこんな目に遭わなければならないのだろう』
つづく
飲酒の監視をしてしまう私
いつの間にか、夫の飲酒を監視してしまう自分がいました。
何故か胸騒ぎがするんです。
案の定な出来事が起きるのです。
酔い方が酷くトイレに立つときにひっくり返り、その拍子で物が壊れたり食卓の物が落ちたりと私の余計な仕事が増え、腹が立ち本人の目の前で捨てることもありました。
ウイスキーの瓶は、捨てるのに抵抗があるので隠しました。
夫も応戦し飲みきれないビール缶を隠し飲みしたり、隠したことを忘すれてしまい後日、掃除をしたときに発見するのです。
あれ?あちらからも、こちらからも発見という感じで。
何故、そこまでして飲むんだろうと疑問でした。
しかし、捨てたり隠したりしてしまうと自分自身とても後味が悪かったのです。
捨てたところで、また買いなおしてくるのです。
無駄な抵抗であり、捨てるものでは無いものを捨ててしまわなければならないということで後味が悪いのです。
その時は、それでいつの間にか解決が出来ると信じておりました。
とても浅はかでした。
つづく。
平穏な日々だと勘違いしながら過ごす
夫の連続飲酒は、年に一度のお正月だけだったので一週間は辛い思いをしますが、それ以外の日々は平穏に過ごしていました。
この時は、まだ連続飲酒という言葉を知りませんでした。
そして時が過ぎ、子供に恵まれませんでしたので、私は生活費の足しに近所へパートに行くようになります。
夫は週に一度の休みだけアルコールを摂取してすぐ寝る、そして夜中目が覚めて缶チューハイを2,3本飲んで朝まで寝るをくり返してました。
しかし、お正月になると約一週間は連続飲酒になり、必ず失禁が付いてきます。
お正月の間は失禁の処理で追われます。
私は、何度かシーツを干すベランダでボー然としたことを記憶してます。
いつの間にか、クリスマスあたりから年末ブルーになりました。
夫にも『正月は大嫌いだ』と言い放ったこともあったのですが、全く効き目なく連続飲酒をくり返す。
失禁が厄介だから飲みすぎに関しては敏感になり、監視するようになります。
『今日はこれだけしか飲まないから安心して』と言ってきますが、ウイスキーの瓶の中身と約束の量が合致しません。
問い詰めても『飲んでいない』と嘘をついてきます。
これがアルコール依存症の構図とは疑いもせず。
つづく。
依存症家族の体験談を思い出したこと
結婚前、アルバイト先で一緒に働いていた母に近い年齢の方で当時60歳くらいの女性が話していたのを思い出しました。
その方のご主人は、アルコール依存症で新婚当時に仕事を辞めてしまい、奥さんの稼ぎと寝たきりのお姑さんの年金を当てにして飲んでいたそうです。
一緒に働いていた当時は数年前、肝臓がんになってしまいお酒を止めざる得ない状況で療養中だとおっしゃってました。
私が衝撃だったのは、家にお酒を置かないようにしているというのは理解できましたが、台所のミリンまで隠していたということでした。
ミリンまで飲むんだと。。。
そして気の毒だと思ったのは、仕事が終わり主婦だったら一刻も早く帰って家事をしたいという気持ちになりますが、家に帰りたくないので回り道をしながら帰っていたということでした。
多くの女性は、きっと好きな男性と幸せな家庭を築きたいという思いで胸を膨らませて結婚すると思いますが、こんな形で崩れるなんて本当に辛かったろうし、どれだけの我慢や苦労をしてきたのだろうと想像がつきました。
若かった私は、ありえない現実だと衝撃でした。
まさか、自分の未来が同じような体験をするとは。
未来を確認できるタイムマシーンがあったらいいのにな。
夢ではなく現実です。
現実の中の地獄です。
つづく。
楽しみだよと言われる
一連の飲み方で疑念を抱いた私は周辺の人に相談した。
『変な飲み方をするんだけどアル中かな?』
『楽しみの一つだよ』とか『ストレス発散だよ』と返ってきました。
私自身もやっぱりそうなんだと思い直し疑った自分に反省までしてしまった。
日頃のストレス発散のために長い休みが続いたら連続的に飲むんだと。
夫の母も『他に楽しみがないし、お酒くらい』と一滴も飲めない私は依存症の疑念を打ち消した。
私はご馳走を作った時は夫の大好きなビールを買ってきたり、ビールを人から頂いたら喜ぶと告げ有難く頂戴しておりました。
今思うと、とんでもない行動でした。
その頃は、アルコール依存症という言葉だけを知っていただけで本当の内容を全く知りませんでした。
もちろん相談した周辺の人達も知識がないので『それはアルコール依存症』という答えは返ってくるはずもありません。
知らないというのは間違いだらけの対応をしてしまってるのです。
このように気付けません。
気付いた時には、何かが崩れた時です。
どこかで自分が依存症の家族だと信じたくないのでしょう。
だから夫のお酒は日頃のストレス発散、楽しみの一つだと思い込みました。
つづく。
嘘をつく
正月中の飲み方は、一瞬『アル中?』と頭をよぎりました。
しかし、私が持っていたアルコール依存症のイメージは仕事もせず朝から一升瓶を抱えてグデングデンに酔っぱらい酒が切れたら奥さんに『酒買ってこい』とおじさんが暴言を吐く最悪な姿でありドラマのワンシーンで観た印象。
後に、ドラマのワンシーンが現実になるとは疑わずにやり過ごしました。
正月明けは、いつもの生活に戻り仕事のある平日には、アルコールを一滴も飲まず週末の休みである日曜日だけ飲んでパタンと横になり雑魚寝するパターンでした。
雑魚寝した後は、寝室で本格的に朝まで眠るとういう体制に入るのですが、時に夜中に目が覚めるといい冷蔵庫にあるビールや缶チューハイを飲んで再度寝るという体制。
私も目が覚めてトイレに行ったついでにリビングを覗くと焼酎の瓶をラッパ飲みしてチャポンと鳴った音とともに焼酎の瓶を隠しました。
何故、隠すのだろう。
『今、焼酎を瓶のまま飲んでた?』と尋ねると、
『飲んでないよ』と嘘をつく。
何故、嘘をつく必要があるのだろう。
意味不明。
夫は焼酎が好きだと店のお客さんに言っていたらしく、お土産で頂いた色んな種類の焼酎の瓶が15本くらい家にありました。
大丈夫かな、この焼酎たち。
特に深く考えたわけではありませんが、そう思いました。
はい、大丈夫ではありませんでした。
つづく。