アルコール依存症の夫を持つ妻の物語

アルコール依存症の夫を持つアラフィフ妻です。体験談を通じて心境の変化をブログで語っていこうと思います。

新たなステージへの扉を開く【ありがとうございました】

現在、私は離婚をしてから9か月を過ぎようとしている。

正確にいうと別居も含め、家を出て約3年足らずというとこです。

過去の事はほとんど振り返らず脳裏から忘れている。

あれほど苦しんでいたのが嘘みたいに今を生きてます。

経済的にも何とか普通に暮らしていけてる。

一人暮らし用の1K賃貸で不便に暮らしているが不便を便利に変換していく作業も案外楽しいもんだと気付た。

自分のことは自分で解決できるので悩みも消えた。

今後、何かの壁にぶち当たっても何とか乗り越えていけそうな気がするから

不安もたいして感じない。

未来の不安ほどあてにならないことを知っているから。

さようなら過去の私。

 

アルコール依存症という病気を目の当たりにして自分の心の気付きや変化をブログに綴ってきました。

私の場合は夫がアルコール依存症でした、その病気を通じて自分がイネイブラーだと知りました。

それまでは相手が原因で自分は不幸だと信じてましたが、お互いの関係がアルコール依存症という病には万能だったことに気付かされました。

それを知って当初はショックでしたが、次第に自分自身の考え方がカウンセリングを受けて変わっていきました。

現在もカウンセリングは受けています。

毎日ささやかな幸せを感じれるようになりました。

これからもっともっと自分と対話し気持ちを確認して自分を幸せにしてやろうと思っています。

このブログを最後にアルコール依存症の問題とは決別して新たなる自分の人生を歩んでいこうと思います。

今までブログを応援してくださった皆様に感謝しています。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

他人と比べない

私は50代になって全て失った。

自分の50代を20代のころの私が描いた未来とはかけ離れている。

家族がいて家を持ち、子供が成人して余生を過ごしている。

どれもない。

しかし不思議と嘆いていない。

なぜなら他人と比べている自分はもういないから。

ずっと他人と比べ、あの人は持っているけど私にはない。

あの人は持っていないけど私にはある。

どーでも良いことだった。

何にもなくてもその人が幸せで日々満たされていたらそれで良いのだ。

自分以外の人間に満たしてもらおうと思うから幸せではないのだ。

自分の欲求は自分で満たす。

自分は裏切らない。

自分を信じる力が大切だと実感している。

だから二度と人と比べることなんてしない。

自分に失礼だ。

 

つづく。。。

自立していく覚悟

『自立』というと経済的に人を頼らず自分でやりくりしていくことだと思っていたので自分は自立している立派な大人だと信じていた。

しかし『自立』ということは精神的に自立している人間のことだとカウンセリングを通して知った。

本当に自立している人は一人でも幸せを抱きながら責任を持ち覚悟している。

そう、私は夫とともに歩む人生を思い描き、この人がいないと生きていけないと思い込んでいたのだ。

一人では楽しめないのだ。

だから潜在的に自分を頼ってくれているうちは夫のことをコントロールできるのだ。

一人ではない人生、依存した人生。

カウンセリングで知った。

無意識に願っていたことが叶っていただけ。

アルコール依存症というテーマを通じて気付けたこと。

このテーマを体験しなければ本当の自分の意識を知ることはできなかった。

アルコール依存症という地獄を経験しなければ気付けなかった。

あのまま結婚生活に執着していたら本当の幸せを知ることなく人生を終えていたのだ。

だから夫を恨むことは一切ない。

紛れもなく私が作ってしまった現実なので決して男運が悪いのではない。

男運が悪いという言葉は便利である。

なぜなら原因が自分ではないからだ。

 

つづく。。。

 

離婚後の心境の変化

離婚が成立してから夫とは一度も連絡を取り合っていない。

もちろん向こうからも連絡はない。

だからといって寂しいとか悲しいという気持ちは一切なかった。

離婚前は不安で一杯だったけど不思議とそういう感情は芽生えなかった。

夫との生活を振り返ることもなかったし夫に対する恨みもない。

未来しか見ていない。

カウンセリングの時も振り返って自己憐憫するような感情は一切芽生えずにこの先、自分がどのように幸せに生きていくかのほうが重要だった。

何か大きな分厚い壁を乗り越えたようなそんな気分だった。

その壁はネガティブだった自分をポジティブに変換したような感じだった。

依存体質だったけど新しい恋人を作る気分でもなかった。

カウンセリングの先生は、また別の恋人を作っても共依存的な関係に再び陥りくり返す傾向があるとのこと。

私もそう思う。

とりあえず、自分が一人でいても幸せだと感じることの方が優先ではないのではと感じていた。

古い自分から脱皮し、新しい自分へと変換していこうと決意している。

不安を感じたら前に進めない。

だから覚悟と責任を持とう。

人とは比べない。

私は私。

こんな風に感じたことがなかった。

こんな風に感じてこなかったこと、それが自分の人生で起こる不幸の原因だったのかな。

原因が解明したのなら修正していく価値がある。

今からでも遅くない。

幸せになる一歩を踏み出していくぞ。

 

つづく。。。

 

 

 

嫌な現実を変える

別居して中途半場な状況からやっと脱出できた。

嫌な現実のドラマから抜けれた。

このドラマを作ったのは夫だけではない。

私の思考から作り上げた現実だ。

なぜなら自分自身がアダルトチルドレンであり、誰かに必要とされたい、そして愛されたいと潜在的に願っていたから。

だから依存的な相手を引き寄せてこの苦しいドラマを作り上げてしまった。

アルコール依存症という課題から導き出された自分自身の人生の課題であるという答えに辿りついた。

気付かされるために見ないといけないドラマだった。

ずっと何故このような現実にぶち当たらないといけないの?

なぜ私だけと夫のアルコール問題で悩んで嘆いてた。

夫がお酒さえ飲まなけらば上手くいくのに。

そう思って相手のせいにしていた。

その反面アルコール問題に必死で戦おうとしていた。

アルコールさえ消し去れば上手くいくと。

でも、どんなに努力してもお酒には勝てない。

努力が報われないどころか酷くなる一方。

今思うと勝つ必要がなかった。

勝負する対象が違っていたのだ。

アルコールと戦うのは本人なのだ。

だから本人の問題であり、責任を本人に返さなけらばならない。

だから家族は手を差し伸べてはいけないということなのだ。

そして私の問題は別にあった。

自立できず依存体質であるということ。

そう私は私を幸せにしていなかった。

自分の心に従って生きていなかった。

もっと自分の存在を見ないといけなかった。

人から見られてどう思われているのか。

自分一人で生きていけない。

一人は寂しい。

などなど思い込みがたくさんあった。

でも関係ないんだ。

誰がどう思おうと私が自分の心に従って生ければ幸せなんだ。

そんな二人がお互いの課題を持ち合わせドラマをみて、それぞれがそれぞれの課題に気付いて乗り越えていくための嫌な現実だった。

その現実を変えるために巡りあったんだと。

 

つづく。。。

離婚に向けて出陣

約束の日がきた。

本当に約束の時間、場所にきてくれるのだろうか?

嘘ばかりつかれてきたから全く信頼していない自分がいた。

約束の場所に待ち合わせ時間より早く到着したので夫が来るのを待った。

約束の時間が過ぎた。

来ない。。。

10分、20分、30分待っても来ない。

ラインしても既読がつかない。

電話しても繋がらない。

最後の最後まで裏切られた。

くやしかった。

どうしよう。

このまま待っていてもなんの進展もない。

意を決して家まで行こう。

玄関でドアに手をかけたら鍵が開いていた。

あれ?居てる。

大きな声で呼んでも出てこない。

居留守?

それとも今日は離婚届けにサインしてもらうという約束の日だから人生に絶望を抱き家の中で自殺しているのかと頭によぎった。

そのまま一人で家の中に入る勇気が持てなかった。

駅まで戻って交番に駆け込んだ。

おまわりさんに事情を説明して自殺しているかもしれないので様子を見るために一緒に

家の中までついてきてほしいと頼んだ。

後から考えると警察は民事不介入だよな。しかし、そのとき考える余裕がなかった。

一緒にきてくれたのは中で『死んでるかもしれない』という言葉に反応してくれたのだ。

しかし確認するまでは自殺しているかもとしか頭になかった。

おまわりさんが『〇〇さん、○○警察です』と玄関で叫んだ。

そしたら中から夫がでてきた。

えっ。。

眠気眼な顔つき、おまけに二日酔い?とも見受けられた。

おわまりさん『今日は大切な約束があった日でしょ』

と夫に問いかけた。

夫『昨夜、お袋が体調を崩して救急車で運ばれたからあまり睡眠を取っていなかったから今まで寝ていた』とのこと。

理由があるのは仕方がないとしても無理だと一言連絡をくれても良いのでは?

その勢いで私は離婚届けを差し出してサインをしてほしいと伝えた。

夫は警察官二人がいる前でごまかす暇もなくサインせざる得ない状況の中サインをした。

私は心の中でやっと自由になれると叫んだ。

その足で役場に行き離婚届を提出した。

スッキリした。

約束を破られたことが結果往来だった。

しかし、最後に裏切られたというか今まで夫のアルコールの問題に取り組んできた自分はなんだったんだろうか?

共依存ではあったので夫だけの問題ではないが、私は蔑ろだったとつくづく思った。

さあ、これから自立して自分の人生の幕開けだ。

なぜか心は晴れやかだ。

 

つづく。。。

やっぱり連絡がこない

また落ち着いたら連絡すると言って電話を切ってから一か月音沙汰なし。

また裏切られた。

こんなことばっかりだったよな。

自分が情けなくなってきた。

このまま待っていても向こうから連絡はこないであろうと判断した。

また私から電話した。

私『まだ状況は落ち着かないの?』

夫『足の調子が悪くてもうしばらく待ってほしい』

私『いや待てない。そちらまで行くので日時を設定する』

夫『では来週の火曜日で』

私『わかった』

といって電話を切った。

 

それから約束の前日に電話が鳴った。

嫌な予感。

夫『お袋の調子が悪く救急で運ばれたから日を伸ばしてほしい』

私『では〇月〇日10時に最寄りの駅前で。これ以上は待てない』

夫『わかった』

と電話を切った。

また振り回されている。

信用できないまま、その日を来るのを私は待った。

 

つづく。。

勇気をだして連絡した

勇気を出して電話した。

出なかった。

まさか着信拒否?

このまま拒否されたら状況が変わらない。

焦る。

そしたら携帯が鳴った。

夫からだった。

私『元気にしてる?』

夫『階段からすべり落ちて足を骨折して入院経て現在リハビリ中』

相変わらずトラブル続きだな。

聞いてるだけで心が締め付けられるというより心苦しい。

それは共依存的な心苦しさというよりトラウマに近い心苦しさ。

トラブルばかりだったから。

異常な世界にいたんだな。

そう思った。

私『離婚してほしいから離婚届にサインしてほしい』

夫『もちろん、もちろん』

以外にあっさりと承諾してくれた。

安堵した。

私『ではいつがいい?』

夫『今、こんな状態で歩くのが困難だから少し待ってほしい』

嫌な予感。

本当にスムーズに離婚できるのかしら?

嘘ばかりつかれていた私はにわかに信じがたい。

しかし同意するしかない。

信じるしかない。

 

つづく。。

別居し一年以上音信普通の夫に思い切って電話する

家を出て一人暮らしを始めた私は、もうかれこれ一年以上夫に連絡を一切取っていない。

しかし、このままでは何にも進展しないとモヤモヤ考えている日々を過ごしていた。

一年も連絡取っていないし勇気いるよなーと自問自答している自分。

そろそろ決着つけないと。

 

どうやって離婚を切り出そうか。

今、どんな生活をしているのだろうか。

お酒は止めれているのか、それとも廃人状態なのか。

色んな意味で連絡を取るのを躊躇してしまう。

 

まずは保健所でお世話になった担当のケースワーカーさんに現在の様子を確認してみよう。

電話した時期は年度末で異動がある時期だ。

異動していたらどうしよう。

そして電話した。

私『ご無沙汰してます、離婚を決意し連絡を取ろうと思っています』

ケースワーカー『異動になり、たまたま今日は引継ぎのためにこちらに来ていた』

えっ偶然にも、本来なら異動でいなかった。

電話して良かった。

私『最近はどんな感じですか』

ケースワーカー『断酒され頑張っています』

良かったー安堵。

一人でも頑張れるんだ、良かった。

ケースワーカー『私の異動を報告しに行った際に今後は訪問看護師に入ってもらったのでこちらは一旦担当が代わるなら打ち切ってと本人の意向を尊重しました』

えっ大丈夫なの

まあ私がとやかく言える立場でもない。

 

よし

夫に連絡するぞ

 

つづく。。

 

私もある意味依存症であると気付く

カウンセリングを受けている中で私のように幼少時代、愛情を受けずに育った家庭の子供が成長し大人になった場合のことをアダルトチルドレンと呼ぶ。

そう、私はACである。

はっきりとそう思うし認めている。

その類の本はたくさん読んだから生きづらさがどこから来ているのかが何となく理解できる。

 

夫のアルコールの問題に関わってきて家庭を守りたいという一心で頑張ってきた。

しかし家庭を守りたいではなく自分の役割がなくなる恐怖のほうが大きかったことに気付く。夫の世話をすることが生きがいなのであった。

自分の生きるテーマから頑張れた。

自分に自信がないから頑張れた。

夫に依存されて役割を持てていたことが喜び。

 

こんな自分に気付けてよかったと手放しに喜べない。

こんなに辛い思いをしてきて頑張ってきたのに残ったのは自尊心の低い自信のない生きるテーマを持っていなかった私だけ。

自己憐憫に陥っているだけでは人生が開けない。

これが私がこの世に生を受けた課題。

この課題をクリアにするために生まれてきたはずだ。

何とか自分の壁を打ち砕いて前を向いていくしかないんだ。

そうやって自分を励ました。

頑張れ私。

 

つづく。。。

自分の心に問いかけてみる練習

カウンセリングで感情が凍り付いていると言われたものの自分ではわからない。

どうのように凍り付いているのかわからない。

わからないことが既に凍り付いているんだろうね。

先生は自分の好きな物を手に取り幸せを感じる事。

幸せというものは大きく遠くにあるのではなく、手のひらを目の前にして開いた手の中ここにある。

仕事帰りに雑貨屋さんに寄って殺風景な一人暮らしの部屋に色を付けてみようと立ち寄った。

もうすぐクリスマスだ。

クリスマスの雰囲気を出せる小さなツリーを買ってみて部屋を彩ってみよう。

暗い部屋にツリーの装飾である電球を灯してみた。

心が温かくなったような気がする。

この温かいものが幸せなのかもしれないな。

幸せは誰かにしてもらうのではなく、自分で築くものなのだなと頭ではわかっていたけど感覚で何となく少し理解ができたような気がする。

 

今までは人と比べてばかり、人の顔色ばかり見ていて他人軸の人生だった。

しかし、これからは自分軸を築き上げて自分の心の声をに耳を傾けよう。

 

つづく。。。

 

感情が凍り付いている

朝焼けを見て感じた感情をカウンセリングで伝えたら『自分の感情が凍りついている』と言われた。

『それを一度に溶かしていくと危険なので徐々にカウンセリングで溶かしていく』と先生が言ったのである。

えっ?

感情が凍り付いている?

どういうこと?

 

そういう事を考えたことがなかった、確かに自分がこれをしたいとか、楽しいとか、うれしい、悲しいという感情が薄すぎるかもしれないと気付かされた。

自分のことは二の次だった。

いつも人の顔色や感情を優先してた。

私は置き去りだった。

異常だったのかもしれない。

だから夫が飲酒でやらかした後始末を何年も出来たのかもしれない。

自分の心を感じることが鈍感だったから我慢できたのかもしれない。

やばかったのは私自身だったのかもしれない。

その原点は生まれ育ってきた家庭環境にあるのだと。

もちろんわかっていたけど。

よし!

自分の人生の過去を振り返り、真剣に向き合っていこうじゃないか。

と決意した。

そう自分を変えようと決意した。

 

つづく。。。

 

 

初めて朝焼けを見た

家を出て実家に帰った。

実家には高齢の母が一人で暮らしている。

しばらく暮らしてみて落ち着かないなと感じていた。

これまで一人暮らしの経験はなかったが、この先の人生どうせ一人で生きていかなければならないし、一人で暮らす部屋を借りようかと頭によぎった。

何から手を付けたら良いのかしら。

母は認知症があり、一人暮らしが限界を迎えようとしていた矢先に私が帰ってきた。

とりあえず、母の家周辺辺りで住もう。

ある日、近所の人が母を訪ねてやってきた。

玄関で対応したのが私だったので『この辺りで良いマンションはないですか?』と聞いてみた。

そしたら○○マンションはいい人が何人か住んでいるよと。

早速、マンションに掲げている管理会社に問い合わせてみた。

『今は忙しいので評判の良い不動産屋を紹介するから不動産さんに部屋の案内をしてもらいたい』とのこと。

不動産屋にそのマンションも含めて数件物件を案内された。

初めての一人暮らしで不安もあってレディースマンションの最上階に決めた。

母の家から徒歩50歩くらい。

駅からも徒歩1分ほどで周辺にお店も充実しており理想の立地である。

最低限生活に必要なものを買い揃え引っ越した。

実家が徒歩50歩くらいなので朝と夜の食事は母宅で食べていた。

まだ一人になることが辛かったし、今度は母に依存しているなぁと感じていた。

目指せ!脱依存!

 

ある早朝、目が覚めてトイレに立った時に何気にカーテンを開けて外をみた。

幻想的な景色が目に飛び込んできた。

これが朝焼け?と何か感じたことがない感情が沸いた。

綺麗だ。

ん?これって普通に人は感じているのではないの?

私はこうゆうの無かったかもしれない。

後日、カウンセリング受けた時、先生に聞いてみた。

『今までの人生に感じる余裕がなかったんです』と言われた。

そうなんだ、確かに確かに。

幼少時代は家庭の混乱で余裕がなかった。

大人になったら何かわからないけど生きづらさを感じながら生きていた。

そして結婚生活はアルコール依存症の夫に振り回されていた。

人生を振り返ったら飛んでもないことに気付いた。

 

つづく。。。

 

 

 

 

 

私カウンセリングを受ける

なんで私のほうがカウンセリングを受けなきゃいけないのか?と納得がいかない気持ちと受けないと自分が何も変わらないという複雑な思いを抱えながらカウンセリングに行った。

受付してカウンセリング室に入るというイメージをしていたのですが、古いビルの一室で先生一人だけが迎え入れてくれた。

特に質問攻めにあうこともなくアルコール依存症の夫との経緯を軽く話した。

(あれ?色々聞かなくて大丈夫なの?)

そして私の親との関係などもさらりと。

私は家を出てもう帰るつもりはないということも伝えた。

その日は特にこれといった手ごたえもなく終了した。

この時は、何が何でも離婚したいというより離婚しなければ辛いだけの人生で終わると自分に言い聞かせていた時期でもある。

離婚した先の経済的不安と孤独がとても大きかった。

どのように生きていけばよいのだろうと路頭に迷っていた。

やがて、このカウンセリングを受ける重大な意味というのが後から謎が紐解かれていく。

 

つづく。。。

 

恐怖の電話

泥酔している間に家を出た翌日から毎日のように夫から電話が鳴った。

無視は出来ないので電話に出た。

『寂しい』と訴えてくる。

胸が締め付けられる。

でも決めたんだ。

アルコールに振り回される生活をやめようと。

だから『家にはもう帰らない』

ある日、夜中の3時に携帯が鳴った。

普通に電話に出たけど、少し怖くなってきたし耐えれない。

夜中の電話に出てしまう自分もどうかと思う。

ある日、意を決して叫んだ。

『もうこれ以上、私を苦しめないで~』

『これ以上、私を苦しめると着信拒否するから~』

そしたら次の日からピタっと連絡が途絶えた。

私の心は限界に達していた。

どうしたらよいのだろうかと考えた末に以前、家族会と勉強会に通っていたアルコール専門クリニックのソーシャルワーカーの方に相談した。

経緯を説明すると『あなたの場合は家族会に参加するより、あなた自身がカウンセリングを受けた方が良いのでは』とアドバイスされた。

『カウンセリングを受けても何も変わらないのではないでしょうか?』と聞く。

『その先生はうまく導いてくれますよ』

少し考えてカウンセリングを受けることにした。

カウンセリングはソーシャルワーカーの先生の紹介で連絡先を受け取り早速、予約をした。

つづく

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