自己憐憫
アルコール依存症の勉強会に参加して知れば知るほど落ち込みました。
苦しめられている自分が、責められているようでした。
まずは、『こんなに苦しめられている自分は可哀そう』
これは、自己憐憫という負の感情。
これぐらい思ってもいいくらいの事をされているではないのでしょうか?
飲酒で起こした問題の後始末。
アルコールの問題は本人に返す。
色んなパターンがあるかと思いますが、私の場合は、夫が家で一人で飲みトイレに立ち上がる度にひっくり返り部屋の中を汚して後始末をしてしまうこと。
こんな汚れた部屋で暮らすのは、不快だから片付けてしまう。
こんなに泥酔しているのに後始末なんかできるのか?という思いでしていたので自分の行動に疑問がありませんでした。
夫の行動を監視してお酒を隠してしまうこと。
家族は何とか良い方向へと願いながらしてしまう行動では?
飲酒を責めるのもタブー。
黙って見てろというの?
脅しもタブー。
私の場合は『もう離婚する』この言葉は数えきれないほど言いました。
しかし、夫も慣れてきて、またかという感じ。
私は他に言葉がみつからず言ってました。
きっと家族の方たちは、じゃあどうすればいいの?という気持ちで一杯です。
みんな自己憐憫に陥るのは当然だと思う。
私は、マニュアルに記載されている家族の対応をしてました。
私がアルコール依存症を助長させていたのだ。
だって色んな方法でやめさせようと努力したのに改善されない。
全力で頑張ったのに無力だ。
このように出口のないトンネルに迷い込んでしまっている状態が依存症の家族。
このような日常を過ごしているけど誰にもわかってもらえないし言えない。
だから『地獄をみたければアルコール依存症の家族を見ろ』という言葉が存在するのですね。
つづく。